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February 03 The Next Time Hank Marvin「きっとネ!?」男性諸氏、彼女から言われた記憶が、おありだろう。
どう答えるか。
「ああ」「0月X日」「・・・・・・」
日本の女性は「待っていろ!」と言われれば、「はい『何十年でも待っています』」であった。
今はどうか?・・・・まったく同じである。
この曲のタイトル「The Next Time」には「the」、ずばり『お前が本命だ』であり、現代的に言えば、supriseの意味もある。
大変、思わせぶりだが、ここがクリフの魅力であり、彼が淑女を放さない「永遠の」アイドルである事を示す名唄であり、名曲である証拠。(映画「サマー・ホリデイ」)
英国にもクリフ派と、トム・ジョーンズ派が居て、それぞれ、保守的な女性と、野生派に分かれている。
トム派の女性達は驚いた事に、パンティーを脱いで、ステージ向かって投げつけるのだ。
そして彼は必ず、公演後ホテルに女性を連れ込み、支配人にドアを叩かれる。
「俺を誰だと思ってるんだ!トム・ジョーンズだぞ!」「何ジョーンズ様であろうと、当ホテルといたしましては、」・・・・・・・(苦笑)
女性は安定を求める、そして密かに、それがいつなのかを、じっと待ち続けている。いつなのか・・・である。
さて、ハンクの演奏だが、彼はもうクリフのバックを務め、クリフの唄をきわめている。
この演奏はクリフのこころ、いや、クリフになりきって弾いているのだ。
バックも完璧に現代の録音システムで、印象派の油絵的に描かれている。ゆったりとしたアコーディオンが、とても素敵だ。
私もいつなのか、このBLOGの話。(突然、現実に戻してしまい恐縮)
書けるのか、分からない状況。(参ったナァ(笑))
ということで、少々お時間を頂きたい。
「THE NEXT TIME」である。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用下さい(12曲目です)
クリフ版です(19曲目です)
January 30 Memphis The Shadows「ヤバインだよ、伯父きが、交換手さん。長距離電話を頼むよ!Memphis州のTennesseeなんだけどさ。壁に字を書き始めたんだ。もう長いこと無いヨ。番号?それが分からねぇんだ。場所はMemphis Bridgeの南側を半マイルほど下がった丘の上だってヨ。」
なにやら緊迫した様子である。臨終の時になって、引き裂かれた愛の結晶である娘の声を聴きたいと、老人は残された最後の力を振り絞って、壁に文字を書いている。それを甥が読み上げている。時々、老人の元へ、Marieという女性から電話が掛かって来ていたのだけは知っていたのだが・・・・
「私が娘を最後に見たのはあの娘が6歳の時だった。大粒の涙を浮かべながら、私に手を振っていた。あの婆さんが俺たちの事を許してくれなかったんだ。」
John Lennonをして「もし、「R&R」という言葉がなかったら俺達は「Chuck Berry」と呼んだだろう」と言わしめた程の天才Chuck Berryの名曲である。
Chuck Berryは1926年生まれ(82歳)Missouri 州 St.Louis出身。
私はChuck Berryの初来日コンサートを見たが(1981)、彼はBassist だけを連れてきて、ピアノは成毛茂、ドラマーは日本人でBassist の合図に従ってブレイクするという、大変スリリングな状態だった。
観客に「次はR&Rかい?それともBluesかい?」と訊き、その反応に応じて曲を決めていく。破天荒な公演ながらも、私は試験の回答を見てしまった感じがした。速ければR&R」遅ければ「Blues」なのである。
この「Memphis」歌詞の内容が、ひっ迫しているだけに、オリジナルのChuck Berryの歌声には心なしか蔭りが見られる。「Blues」が「R&R」に変わっていくギリギリの線だろう。
シャドウズの演奏、パニック感、それはイントロのJohn RostillのBass、うなる感じから始まる。
ハンクのギターは、甥っ子とそっけない交換手との電話のやりとり。そのライン上の「もどかしさ」をワウ・ギターで絶妙に聞かせてくれる。
走り抜けるようなハーモニカは、広いアメリカ大陸のハイウェイの大型トラックのクラクションの様に響く。
そして左側から聞こえてくるのは、途絶えつつある老人の拍動を鼓舞する(jazz)ハンクの人工呼吸ではないだろうか。
臨終という荘厳な儀式が、とてもまともには終わりそうも無い。そんな情景描写をうまく描いたシャドウズならではの、ソリッドなロックである。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用下さい(25曲目です)
オリジナル、Chuck Berry版(25曲目です)
1963年に「Memphis」(演奏版)をヒットさせたRonnie Mackのサイトです。
January 24 Light My Fire Hank Marvin「音色のセンス」。Hank Marvinというギタリストを評するなら、この言葉に尽きるだろう。
Erick Claptonは「Quality of tone」という表現でハンクを絶賛している。彼は「Human voice」という日本語に訳しにくいニュアンスでハンクのギターを解析して、「やっと辿り着くと、そこにはいつもハンクの足跡があった。」というような諦めに近い嘆きをつぶやく。
この曲「Light My Fire」は1967年全米第1位を3週連続で勝ちとったThe Doorsの名作である。それが30年後にハンクによって、アルバム「Guitar Man」で取り上げられ、全英6位を獲得した。考えてみれば、The DoorsとThe Shadowsは一世代違うバンド。随分と長い年月を経て「練られてきた」と言える。
それはThe Doorsのオリジナルのイントロのハモンド・オルガンの部分で分かる。Ray Manzarekの8分音符の複雑な「なだれ討ち」のようなフレーズを、ハンクは何と、俗に「シロタマ」と呼ばれる全音符にしてしまっているのだ。
私はハンクを「一弾入魂の人」と呼んでいる。「この音はどうですか?これはどうですか?」とシンプルな単音に心を込めて、全身全霊でうったえかけてくる。しかもあの笑顔で。
ソロ・アルバムでのハンクは「シャドウズというコンセプト」の範囲を超えて、音数の多いジプシー・ジャズの要素を取り入れてきている。
この曲では、まるで2人のギタリストが競演しているかのように、エレクトリックとアコースティック・ギターが交互に、この曲の持っているスタンダードな美しさに「新鮮さ」を加えて聞かせてくれる。
半世紀をかけても、さらに進化成長していく「天才(A Genius)」Hank Marvinである。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(5曲目です)
The Doors 版です。
☆The Driffters結成直前のThe Five Chesternutsの「Teenage Love」です。
若き日のHank&Bruceの歌声と演奏が聴けます。
January 23 A Hard Days' Night Hank Marvinポールとブルースはすぐに気が合った。
レコード会社が同じという事で、シャドウズとブレイク前のThe Beatlesはシークレット・パーティーをよく開いていたのである。
ブルースが紅茶を入れている時に、ポールが台所で歌った「Please Please Me」はとても印象的だったそうだ。
2人はロマンティックな部分で相通づるものがあったのかもしれない。
さてThe Beatlesのコーラスだが、ハンクとブルースが自分達の録音に失望したThe Everly Brothers風のハモリもThe Beatlesの方が数段上手かったし、ハンクとブルースの知らない手法をThe Beatlesは持っていた。
それはMartha & The Vandellas、The supremes、The Marvelettes、The Donaysといった黒人女性コーラス・グループのアンサンブルだった。
The Beatlesは男なのに女性グループをよくコピーしていたのである。
これはJohn、Paul、Georgeが3人ともテノールだった事が幸いした。(ちなみに日本人男性は殆どバリトン)
※Johnに関してはshout 唄法でバリトンからテノールに声域を変えてしまったのである。そして、クリフは裏声を使ってテノールに変えた。
シャドウズはブルースはテノールだが、ハンクはバリトンである。
これでは残念ながら、テノール兄弟のThe Everly Brothersのコピーは難しい。
The Beatlesとシャドウズは共にskiffleという音楽出身で、Elvis Presleyに触発されてR&Rバンドを組んだ。
「Please Please Me」は最初、Roy Orbison風のバラッドだったが、George Martinが「諸君、もっと景気良く演らないか」ということでアップ・テンポになった。
ユニゾンから微妙にハモリに入っていく所はThe Everly Brothersの「Cathy's Clown」だが、「Com'on! ! Com'on !」のところは、クリフ&シャドウズの「We Say Yeah !」の「Yeah ! Yeah !」ではないだろうか。(笑)
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(1曲目です)
The Donays「He's Got A Devil In His Heart」
The Marvelettes「Please Mr. Postman」
(ご覧になれない方はYouTubeで検索して下さい)
Cliff&The Shadows「We say Yeah」22曲目です。
January 19 That's The Way It Goes The Shadows「Love Me Do」にはカウンター・パンチでKOされたとブルースは語っている。そのスタイルの斬新さ、歌唱力、強敵が現れたと感じたのだろう。
The Beatlesが世に現れたのは、本当に偶然としか言いようが無かった。
リバプールから出てきたマネージャーのブライアン・エプスタインは、すべてのレコード会社のオーディションに落ち、
『このまま、手ぶらで帰るわけにも行くまい』と思う。
そこで、オックスフォード街のHMVでデモ・テープをレコード盤にしようと考えた。
現在も存在するHMV(場所は移動している)の上の階に、自主制作のレコード・カッティングをしてくれるコーナーがあったのだ。そして、その店員が「Love Me Do」を気に入るのである。店員は上司に連絡する。上司は「EMI に知り合いが居るから、掛け合って見ようということになった。
その電話先がGeoge Martinだった訳である。1962年の事である。
「Love Me Do」を分析してみると、これはテンポの遅いR&Bである。例えばPhil Collinsのカヴァーで有名なSupremesの「You Can't Hurry love」。
※このモータウン系のリズムを、半分のスピードに落としてみると、ズバリ「Love Me Do」になる。
リバプールという港湾都市には米軍経由で米国のR&Bのレコードが大量に入ってきていた。若者達はElvisのR&Rだけではなく、黒人的なR&Bを聞いて育ったのである。
そこがニューカッスルのシャドウズとの違いである。ブルースはR&Rは聞いていた。そしてスタンダードな音楽をこよなく愛していた。ハンクは幼い頃にピアノでヨーロッパの古典音楽を学び、スキッフルで、ジャズ志向になった。
この曲「That's The Way It Goes」はいわゆる「リバプールサウンド」風だが、これは英国北部の独特な音楽風土が産んだ美しいメロディーラインである。
そして、初期のThe BeatlesはR&Bを基調にした北イングランドのコーラス・バンドだったと解釈すべきだろう。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(5曲目です)
「Love Me Do」The Beatlesです。
「You Can' t Hurry Love 」Diana Ross& The Supremes版(3曲目です)
「You've Really Got Hold On Me」モータウンのバックを受け持ったThe Funk Brothers版です。
January 17 Shazam Duane Eddyハンクにギタリストとしての光を与えたのは、Duane Eddyだったのではないだろうか。
ハンクはブルースに会う前はThe Crescent City Skifuffle Groupのバンジョー弾きだった。
それがブルースのThe Railroadersに加入し、ブルースからR&Rの洗礼を受ける。
その頃、彼らはDuane Eddyの公演を観るのである。
Duane Eddyは1938年ニューヨーク生まれ。5歳からギターを始め、カントリー・ギターのテクニックは抜群であった。
しかし、アリゾナのDJだったLee Hazlewoodに出会い「そんなギターはもう古い。音数を減らせ!」と指示される。
そこでDuaneは低音を強調したシンプルなサウンド"Twangy"で大ブレイクする。
ハンクは熱く語る「デュアンは15inchと8inchのスピーカーをゴムでくるみ、鉄枠で2段重ねにしていた。フル・ヴォリュームでも全く歪んでいなかった。」
「We want Duane ! 」 観客たちの絶叫は、後のBobby Darrinが歌い始めても止まない。(歌手志望のブルースは首をひねったが)
この「Shazam」は全英第4位。シャドウズはオープニング・ナンバーとして良く演奏した。
初来日1967年公演も、この曲からスタートしたのを憶えておられるだろうか。
なお偶然だが、同名バンドだった日本の「ドリフターズ」もコミック・バンド時代、この曲をバンドテーマに使っていた。
シャドウズとは日本テレビで共演した事がある。
ご覧になれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください。
シャドウズ2004年Live版です。(19曲目です)
January 12 Happy Birthday To You Cliff Richard & The Shadowsクリフ達の御喋りではなく、バックに流れるシャドウズの演奏。このすばらしいテイクは存在しないのだろうか?
英国の成人は18歳か21歳の誕生日に行われる。クリフが21歳ということはハンク&ブルースは丁度20歳である。彼らはもうこの頃、大スターであった。
イギリスの成人式は街中の方々が、その人のためにだけ公共の場を使って、大騒ぎをする。子供から老人まで、「もう今日からは大人、何をやっても良い。すべて自分の責任で!」ご馳走も大分出るらしい。(羨ましい)
録音日は1961年、7月28日。「We Say Yeah」と同日にレコーディングされている。映画「The Young Ones(若さでぶつかれ)」と殆ど同時期に、同じMalcolm Addyによってミキシングされているので、楽器の音質は「The Young Ones」と変わらない。
演奏はTonyのフロァータムから始まる。「Apache」を思わせるイントロでブルースはアコースティックを鳴らしている。ハンクのエコーサウンドは変わりないが、Jet はFender Bassを弾いている。
クリフ達のほかハンク、ブルース、ジェットの奥様方は参加はしているが、話には加わっていない。この辺は英国の女性。日本の女性と同じで、台所を守るのがプライドらしく、The Beatlesの映画「A Hard Days'Night」を観ても、お判りの様に女性はペットでしかない。同映画のテーマ・ソングもイギリス版「関白宣言」である。(笑)
もちろん時代は変わっているが、その本質は同じだろう。それよりも私はシャドウズの「Happy Birthday To You」を聞きたい!
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(17曲目です)
January 10 Jigsaw The ShadowsThe Shadowsである。それ以外の形容の仕方がない!(Think Nothin' but The Shadows)もう、どんなジャンルにも属さない、渾身の一曲である。
録音日は1967年4月27日。初来日、直前。レコーディングには4trのレコーダーが使われている。(Ampexと思われる)しかし、それ程のダビングはされていない。リードギター、ピアノ、蜃気楼の様に響き渡るハーモニカ位か。
60年代シャドウズの最高傑作である。わき腹に効くパンチで、最終ラウンドに彼らはKOを狙っていたのだ。
i-Podで熟聴してみると、エンディングに思わず気合の入ったハンクの掛け声が聞こえてくる。( ! )
60年代のこの頃、英国の音楽界は混迷していた。The Beatlesはアメリカ音楽の影響を受け、Sgt, Peppers's Lonely Hearts Club Bandを発表している。そのアルバムは大変な数の多重録音やスピード回転の改変などでThe Beatlesのイメージの転換を計っている。
機材も英国製のギター・アンプ類を止め、アメリカ製に乗り換えてしまった。
それに対しシャドウズはBurnsのギターとVOXのアンプで自らの路線を守り抜いた。(John RostillのBassは大変な未来志向であるが、Think John Rostill is a Futurologist.)
結果がどうなったかは問題では無いだろう。それはご自身で判断いただきたい。
この曲、アルバム・タイトルのJigsawはジグソーパズルの事だが、「糸ノコ」が本来の意味である事をお忘れなく。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(2曲目MONO、16曲目STEREOです)
January 08 Move It Hank Marvin (feat.Cliff Richard)「Dream(s) come(s) true」であった。これは本当の話である。
私は1980年代、東京、池袋にあったCliff&The Shadowsの聖地、On Stage Yamanoに通い始めた頃から、シャドウズのバックをクリフのコーラスで出来ないものかと考えていたのだ。(I was Thinking about The Shadows feat Cliff's chorus)
このアルバム「Hank Plays Cliff」はロンドンで買ったのだが、当然、現地では聞くことは出来なかった。買ったCDは旅行バッグに放り込んだまま、内容は読まずに、ハンクのソロ・コンサートの会場であるロイヤル・アルバート・ホール(Albert Hall)へ向かった。
演奏曲はブライアンの息子Warren Bennett のアレンジによる斬新なCliffのヒット曲が中心だった。
しかし、驚いた事にアンコールの「Move It 」にsupriseで本物のCliff が登場したのである!Cliff はツアー前なのかダイエット中らしく、すこしポッチャリしていた。女性ファンはご存知かどうか分からないが、男性の着るタキシードは痩せている方には似合わない。腹にタオルを巻いて着用しなくては駄目なほどである。
そこはそれCliffの事である。ピッタリのタキシードを着て、小走りでステージに出てきた。会場騒然である。当然だろう。女性ファンたちは舞台に向かって突進した。
新しい歌詞が加えられている事も、彼らの未来志向を感じさせた。これはオリジナルの作者Ian Samwelが書き足したものである。
歌い終わるとCliff は笑みを浮かべながら、小さく手を振って、またバックステージに風の様に去っていった。ハンクは「The Mystery Singer ! (映画The YoungOnesに登場)と紹介した。」
夢はかなう。この事実を、私はいまだに家人にすら伝えていない。このBLOGを通じて、今日、初めて皆さんにだけお知らせする事である。
ご覧下さい。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください。(9曲目です)
Carrie(クリフのコーラスが聞けます。7曲目です)
アレンジのWarren Bennetのサイトです。
作者Ian Samwelのサイトです。
January 06 The Savage(サベージ) The Ventures(ベンチャーズ)「野獣会」をご存知だろうか?正式には「六本木野獣会」。1961年に結成された30名位のイカした人々の名前である。メンバーには田辺靖雄、峰岸徹、大原麗子、加賀まりこ、井上順といったそうそうたる方々が居た。六本木の「カフェ・オ・レス」飯倉の「キャンティー」に集まっていた。日本の2i'sと考えていただきたい。
この時期が丁度、クリフリチャード&シャドウズの黄金時代に重なるのである。
このメンバーの中に「ジェリー藤尾(Jerry Fujio.Famous Japanese singer.)」が居た。彼はクリフと同じ1940年生まれ、イギリス人の母親を持ち、中国の上海で生まれた。そして、終戦と同時に本国に帰国した。そして、エルヴィス・プレスリーを聞き、ジャズ喫茶に飛び入りで出演、スカウトされ歌手となってしまう。それまでは、それこそ「野獣」のような青年らしい生き方をしていた。
ヒット曲は数多いが、中でも「遠くへ行きたい」は絶品である。この歌に関してはジェリー藤尾以外には歌えないだろう。楽曲、詞そして歌唱が三拍子揃った永遠の名作である。
ジェリー藤尾は現在も歌手生活を積極的に続け、ボランティア活動にも熱心である。その甘いマスクと歌唱力には、大変なカリスマ性を感じる。是非、機会があったら、彼とクリフを重ね合わせてお聞きいただきたい。
さて、ベンチャーズの「The Savege」に話を戻す。サーフィン・サウンド(sirfrock)を目指しているのだが、同郷出身のディック・デイル(Dick Dale)を思わせる間奏は省略している。これは、いたしかたない。アメリカ人はスタイルを重んじるからである。
ノーキー(Nokie Edwards)が、あの間奏を弾いたらと想像しただけで胸がワクワクする。なんとも彼のプレイを聞きたかったが、これはこれで、当時のベンチャーズの突撃的な爆発感が味わえて最高である ! 。とくにドラムのメル・テイラー(Mel Taylor)のスネアは、トニー(Tony Meehan)のフロァー・タムとのドラム合戦になっていて、面白い。大西洋(太平洋?)を挟んだ「エレキ・バンド合戦」である。
お聞き聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用下さい。
シャドウズ版です。(9曲目MONO、25曲目STEREOです)
ジェりー藤尾「遠くに行きたい」(1曲目です)
ジェリー藤尾さんのサイトです。
January 05 The Thunderbirds' Theme(サンダーバード) The Shadows (シャドウズ)人形劇(puppetly)として、最近はフィギュア(puppet)としても人気のある「サンダーバード」。もともとはイギリスのTVシリーズだった。それの映画版が1966年に発表され、その中にクリフ・リチャードとシャドウズ(Cliff Richrd& The Shadowsの人形も出演し、彼らの歌と演奏が使用されている。(Supermarionation)
中高年男性なら、いや女性にもペネロープ(Penelope)の事は覚えてらっしゃるだろう。シャドウズの「Lady Penerope」という曲が映画の中で使われている。ナイトクラブのシーンでシャドウズの人形がBurnsのギターで演奏していた。
シャドウズのThe "The Thunderbirds" Themeは映画では使われなかったものの、Barry Grayの原曲を大胆に8beat にアレンジし、強力なインパクトを押し出している。
演奏は簡単そうに聞えるが、バンドで実際にコピーしてみると難曲中の難曲である。
ハンク(Hank Marvin)はリードギターに6弦Bassを使用し、さらに2本のBurnsをかぶせている。ブルース(Bruce Welch)のコード・チェンジは非常に複雑でリズム・ギターとしては超絶技巧と考えられる。
ブライアン(Brian Bennett)のドラム・ソロにしても、Jazz のスタイルであるし、ティンパニーも使っている。サビの挑戦的なボサノヴァに乗せて、Bassのジョン・ロスティル(John Rostill)は20年後のチョッパー・ベースの感覚を出している。
この様に、シャドウズは与えられた仕事に対しては、まったく気を抜くどころか、アレンジをして、渾身の魂を込めて演奏する天才集団であった。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(16曲目です)
映画に使われたBarry Grayの演奏です。
January 04 Spring Is Nearly Here(春がいっぱい) The Shadows シャドウズ「日本人の春を変えた。」と言われる永遠の名曲である。本国の英国で演奏された事はない。ブリティシュ・ロックンロールの発祥の地、ロンドンのSOHO街にある2I'sというコーヒー・バーで黒人の女性シンガーが歌っていた。
作曲をしたのはドラムを叩き、司会もしていたBrian bennettという世界最高級の超絶技巧ドラマーである。彼は後にThe ShadowsというThe Beatles以前のイギリスのR&Rバンドの第一走者に引き抜かれる。
その後のUK Rockの底流は大きく分けると4つの枝に分けられる。
一つはThe Beatles派、Jimmy Hendricks(米国)に影響を受けた派、アイルランド・スコットランドを中心にしたトラッド派、そして、このシャドウズ派である。
シャドウズ派には、どんなグループがいるか。The Who, ギターのPete Townshentはシャドウズのコピー・バンドのリズムギターを担当していた。彼のファンなら、彼のギターが基本的にコード中心である事はご存知であろう。そしてPink Floyd、ギターのDave Gilmourはシャドウズのリード・ギター、ハンク・マービンの名前を必ずあげている。そして、QueenのBrian May、彼はシャドウズを見てギターを弾き出した。
VOXのAC-30といえばBrian Mayだが、このアンプはもともとシャドウズのリード・ギター、Hank MarvinがVOX社に特注した物である。彼は30W以上の音量は難聴になると直感し、現在でも30Wのアンプを使っている。
そして最後にMark Knopfler彼はシャドウズの出身地、New Castle Uopn Tyneで育ち、シャドウズを聞いて4'o Clock Shadowsというバンドを組んだ。そしてDire Straitsを結成した。彼はハンク・マービンのスタイルを忠実にコピーし、赤いストラトとエコー・サウンドで世界中をアッと驚かせた。
その全てがこのシャドウズというバンドに始まる。この曲の録音日は1962年1月26日である。今から何年前になるか?そして春の霞の様に全体ののサウンドを造り上げているのは、同年の6/18に録音されたストリングスである。当時はBTという超高級な2trのアナログ・テープレコーダーしかなかった。これで多重録音した為、SNが悪くなったのである。技術的に言ってしまえば、それまでだが、我々人間は胎児の頃、子宮の中から相当のノイズを通して、外界の音を聞いているのだ。ノイズはけして雑音ではない。
The Shadowsというバンドの名前を忘れないでいただきたい。彼らは今年50周年の全英LIVEをホール・ツアーで行う。「春がいっぱい」は大村憲司も演奏しているのはご存知だろう。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください。(9曲目MONO、22曲目STEREOです)
※スライド・ショーをご覧になりたい方は上段のフォトをクリックして、お好きな写真を選び、スライドショーをクリックしてください。
You can see the slide show of Shads clikinng 「フォト」,
chuesing dates and click 「スライドショー」.
I hope you enjoy it.
Cheers.
eugene
January 03 Maya's Day Hank Marvin光熱費が¥0である。今時そんな馬鹿なとお考えであろう。流行の¥0ビジネスではない。「太陽」である。
「御天道様(おてんとさま)」でもいい。呼び方は地方によって違うだろうから、皆様にお任せする。
私は全くの無宗教だが、太陽信仰だけは、せざるを得ない。何故ならタダだから、というより人類なら当たり前だろうと考えているからである。
私は東京に生まれ育った。東京と言っても「藪」である。だが東京というより、江戸の良いところは台風が直撃しない、冬場に晴れの日が続く、東京湾が豊富な魚場であり、港湾都市としての条件が最高である。だが、我々の先輩方は肝心な江戸前の鮨の味を失ってしまった。大気汚染は陽の光をも霞めてしまった。
紀元前、中米にマヤ文明という優れた天文学を持った種族が居た。彼らは太陽のピラミッドを持っていた。人種的にはアメリカ・インディアン、つまり私達と同じ黄色人種である。独自の文字を持ち、大変科学的な手法で生活を営んでいた。
この曲はハンクの息子Ben Marvinの作品である。勿論、演奏にも加わっているが、リードギターはハンクが主人公となっている。
正確なマヤ暦を連想させるイントロから、メロディーは真摯な彼らの生活ぶりを想い起こさせる力強いピッキングだ。ハンクがいかにThe Shadowsから一歩進む為に努力を重ねたかが伺える力作である。
私ははるか太古の昔、人類がこの「太陽信仰」で結ばれていたと考えている。少なくともハンクと私達は結ばれている。それをマヤの人々と「太陽」に感謝したい。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください。(4曲目です)
January 01 Holy Cow The Shadowsシャドウズが意識したと思われるバンドが意外な処にいる。有名なシンガーのバックを務め、自らもヒットを放ち独自の路線を歩んだ。「The Band」である。
英国連邦のカナダ出身。R&R創生期はRonnie Howkins&Hawks として、60年代初期はBob Dylanのバッキングで登場するも、フォークのDylanがRock Bandを引き連れていると言う事の非難が大きすぎて、1966年ウッドストックにこもらざるを得なかった。
しかし、その直前、英国でDylanとRoyal Albert Hallでコンサートを開いており、ロックンローラーのRonnie Hawkisのバックバンドである。シャドウズのメンバーが注目していない訳が無い。(Dylanは1941年生まれでElvisに触発されて音楽に目覚めている。)この曲自体は同じ1966年のLee Dorseyのヒットのカヴァーと言う事になるが、The Bandも演奏している。(The Band の録音は1973年)
ところで、The Bandのリード・ギタリストRobbiie Robertsonが、ハンクと同じUPピッキングを多用しているのをご存知だろうか?彼はモヒカン刈りで有名なモホーク族と言うNative American(インディアン)とユダヤ人のハーフである。当然と言っても過言で無いと思うがBlues志向があまり感じられない。彼はハンクより2歳年下の1943年生まれだが、同じ1958年にプロとなっている。おそらく同じカナダ出身のニール・ヤングの様にシャドウズは聞いていただろう。ストラト弾きという点からも可能性は高い。
私は1976年のThe Bandの解散コンサートにチケットの都合で3日遅れで間に合わなかった。当時は情報がリアルタイムで入ってこない。先に行った友人の話を事細かに聞くだけだった。あのコンサートを記録した映画「The Last Waltz」のエンディング・テーマは「The Third Man」である。シャドウズは同曲を1981年にシングルで発表している。当然、これはThe Bandの演奏を意識したものであろう。
Holy Cowは直訳すると「神聖な牛(雄)」なのだが「うひょー!」という感じで使われる。オリジナルの歌詞の主人公は大分参った様子なのだが、曲調はいたって呑気な牛である。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(10曲目MONO、24曲目STEREOです)
December 30 Riders In The Sky (Polydor) The Shadowsまるで音の壁である。EMI 時代に録音された物とは、まるで違う。「Riders In The Sky」にはアルバム版、シングル版とこのPolydor版がある。EMI の後者はシンセ・ドラムを使って、ディスコ風な味わいにしてある。
1979年第1位を3週間連続獲得したアルバム「Strings Of hits」に収録されてから、およそ暦が一回りした1990年のアルバム「Reflection」で、現在では「Riders In The Sky'90」と呼ばれているこのヴァージョンを聴く事が出来る。
アナログの24trレコーダーであることには変わりが無いが、録音された場所がEMI 時代の拠点だったAbbey Road Studiosではなく、ブライアンの所有するHoney Hill Studisで、じっくりと「油絵的手法」で厚塗りされたのである。
ブライアンとレコーディング・エンジニアのDick Plant は絵の具造りから始めた。一つ一つの楽器。それもドラムは各シンバル、スネア、バスドラム、タム類を実験室での研究のように調査し、試行錯誤を繰り返した。
一発録りの爆発感は最後の本番、いわばロケットの打ち上げの様な感じで行われた。その後はブライアンやキーボードのCliff Hallによって、様々な装飾がなされている。西洋芸術の絵画・建築の様な感覚で彼らは入念な作業を繰り返した。
しかも驚くべきは、この壁を「ステージでも再現できるように」と言う条件付でアレンジしていったのである。この点はThe Beatlesの場合と違って、ステージで再現できなくなる程の実験性をシャドウズは追求しなかった。これは英国大衆音楽エンターテイナーとしての彼らの哲学なのだろう。
この曲の入ったアルバム「Reflection」はシルバー・ディスクを獲得。その年のツアーはシャドウズの歴史において過去最大の物となった。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください(このサイトはMSの調査では脅威は発見されておりませんが、アンチ・スパイウエアをお持ちでない方はクリックしないで下さい。また、このサイトへの登録・ダウンロードはお勧めしません)
EMI アルバム版です(1曲目です)
EMI シングル版です。(60曲目です)
December 29 Baker Street The Shadows「さてワトソン君、そろそろ問題の場所へ向かおうではないか。」Baker.stと言えばSherlock Holmsである。私は全巻読んだが、一向にピンと来ない。ある日神田で古い岩波文庫の訳を立ち読みした。私が読んだ文庫だと「私よ。分かるでしょう?誰だか。」それが岩波の赤茶けた戦前の訳だと「驚かれなさいましたか。妾にございます。」これでは違いすぎる。
シャーロック・ホームズは1881年から221b.Baker.stに住んでいた設定である。馬車の時代だ。言葉遣いが現代風では情景描写が滅茶苦茶になってしまう。私は思い切って原本・英語版が全部出ているという面白い企画の単行本を買ってしまった。電話帳くらいの厚さだが格安だった。ただし、これは老後の楽しみに取ってある。
それはそうと、このBaker St.という曲。オリジナルはGerry Raffaty(1978)英国では3位、アメリカで2位である。異国趣味と言ってしまえば、それまでだがアメリカ人も感じるところが多かったのだろう。歌詞の中には酒に溺れて冷たい街をさまよい歩く現実の自分と、健全な生活を取り戻し、余裕のある豊な人生を送る未来の自分が交錯している。彼はその日が来るのが、いつなのか分からず、只泣き歩き続けているだけだ。
面白いのは小説の中のシャーロック・ホームズがモルヒネやコカインに耽溺していたのを、ワトソン博士が更生させている点である。この小説を書いたコナン・ドイルは医師で、父親がアル中になったのを治療した経験があるからかもしれない。世界中にはシャーロック・ホームズのファンは多く、シャーロキアンと呼ばれている。私もその一人である。
シャドウズの演奏はオリジナルの有名なRaphael Ravenscroftのsaxの部分をハンクが見事にギターで再現している。これは正解だと思う。R&Rのギター・インストロは、サックスを抜いてキーボードを入れた方がシックなアダルト・コンテンポラリーになるからである。この曲が挿入されたアルバム「Strings Of Hits」(1979)は全英一位を獲得した。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用下さい。(56曲目です)
December 27 Please Mr. Please Bruce Welchこんな処まで来たシャドウズ・ファンが、かつて居ただろうか?駅前の風景はまるで地方の寒村である。霧雨が降っていた。傘をさしたいが英国人はこのくらいの雨は女性でも平気で歩いている。
北ロンドンFinsbury Park。ブルースの書いた伝記通り、改札口が無かった。駅員が渋い顔をして立っている。30年前の1958年と同じ様相なのにはビックリした。
新聞売りのワゴンが置いてあった。そこでブルースは「バディー・ホリー急死」の文字を見てショックを受けたという。駅から右に降りていくと「若さでぶつかれ(The Young Ones)」で使われたFinbury Park Empire 劇場がある。若き日のクリフはバスの窓から「いつかあそこでショウをやるんだ。」とつぶやいていたらしい。
1958年の4月6日、16歳のハンクとブルースの在籍したThe Railroadersはロンドンの音楽コンクールに出場。結果は惜しくも3位に終わった。そのコンクールには凄腕のドラマーのいるThe Velvetsも参加していた。そのドラマーの名前はBrian Bennettである。
The Railroadersは解散。ハンクとブルースはロンドンに残った。その最初に泊ったアパートが、このFinsbury Parkにあった。2人はSoho街の2i'sでオレンジ・ジュースを売り、時々有名な喜劇俳優のCharlie Chesterの息子、Pete ChesterとChesternutsというバンドで活動を始めたのである。
腹すかしの若い二人はアパートの林檎を狙っていた。「あれが落ちたら、分けあおう」。クリフの2i'sでのステージを始めて見たブルースは興奮して「今日、凄いシンガーが出たぜ!」。ハンク「ふ~ん。それで食べ物は何にする?」
アパートは再開発されたのか見つからなかった。駅からはかなり歩く。しかしハンクとブルースが通った道である。私の足取りは軽かった。
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オリヴィア・ニュートンジョン版です。
ブルースのファン・サイトです。
December 25 Love Deluxe The Shadowsすべての鍵はブルースが握っていた。ハンク、クリフ、ブライアン、ジョン・ロスティル、オリヴィア、ジョン・ファラー、アラン・ターニー、ティム・ライス・・・このシャドウズ・ファミリーの大きな渦を巻き起こしたのはBruce Welchという人物なのではないか。それが私なりの結論である。
今日は聖誕祭。英国の保守層はクリフ・リチャードを聴き、静かに過す。団塊世代はJohn やPaulのクリスマス・ソングを聴く。若者達はTake That やBritney Spearsで盛り上がっているのだろうか。
「Christmas Party」というのは日本人の造語だと、NHKの英会話教室でアメリカ人講師が云っていた。私はイギリス各地のレストランで「クリスマス・パーティーのご予約はお早めに」という看板をずいぶん見たが
日本に来て始めて背広を買ったような「外国語をしゃべれないアメリカ人」に駅前で外国語を習う?大枚40~50万円とか。英語習得には親掛かりの海外留学が必須と考える若者達。かの小林克也氏が、ラジオ講座「百万人の英語」だけで頑張った話を聞かせてやりたい。
ブルースは実はフランス語が得意である。ハンクも頻繁にジプシー・ジャズの祭典にパリに出向いている。ブライアンのソロ・アルバム「Misty」の表紙は、モンマルトルの丘で描かれたブライアンとデイヴ・リッチモンド、アラン・ホークショウの横顔で飾られている。
シャドウズのロマンはフランス風味だと私は書き続けて来た。この曲のタイトルも本来の英語なら、deluxe loveだがフランス語的な語順になっている。ちなみにLove de luxeは「贅沢な恋」という感じだろうか?(藤村有弘Ⅱ世にはチャンポン語しか分からないので失敬)
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December 24 Hopelessly Devoted to You Olivia Newton John人生には折にふれて想い出す曲というのがある。私にとっては、この歌がそうである。1971年にブロードウエイで上演され、翌年には英国でもミュージカルとしてスタートしたが、何と言っても1978年のOlivia Newton John と John travoltaが主演した映画版が大ヒットした。楽曲が入れ替えられたせいだろう。現在、日本や韓国でも舞台で大人気で実に30年の長きに渡って愛されている1950年代の若者のR&R物語である。
この曲を作曲したジョン・ファラーはブルースに電話で「イギリスに来て一緒にやらないか」と誘われた時、婦人のパット・ファラーと朝まで、人生の岐路に立った事の重大さにおびえ、興奮して話し合ったという。2人がブルースの説得に応じなかったら、世界の音楽史は大きく変わっていただろう。
もちろんOliviaの存在も埋もれたまま、この歌も人々のこころに刻まれる事はなかった訳だ。こうしてみると、Bruce Welshという男がいかに英国のポピュラー・ミュージックのkey personであるかが、うかがい知れよう。
”Hopelessly Devoted To You"の邦題は「愛すれど哀し」である。この原題を直訳すると「絶望的な愛なのに、尽くさずにいられない」。まるで演歌である。じっさい演歌のコブシこそないが、Oliviaは演歌のように歌詞に「タメ」を造って歌っている部分が有る。こういう女心は、世界共通、一緒なのかなぁと切なくなってしまう。
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3曲目です(LIVE)
December 22 Man Of Mystery The Ventures美しく切ないメロディーである。この曲はシャドウズ・ヴァージョンでも相当演奏がむずかしい方で、どうやったらハンクのように滑らかに弾けるのか?しかも彼はニッコリ微笑みながら時計回りでステップして曲弾きする。
アメリカ人の指使いだと5フレットのAmからが普通だが、ハンクは何とローコードで全部弾いている。これはショックだった。最後の「キャー」はテープ編集かと思っていたが、最新の「The Greatest Hits」を聞いてみると一発録りである。ハンクの動体視力は凄い!
この曲、Chet Atkinsが1961年にシングルで発表している。現在YouTubeにUPされているのでお聞きいただきたい。また最近Museという若い英国のバンドが演奏している。このバンドはフジロックフェスティバルにも来日した人気バンドである。シャドウズが1960年10月7日に録音したアレンジがいかに先鋭的であったか、50年後に証明された形となった。
The VenturesのヴァージョンはChetのスタイルを元にして、彼ら念願のunplugged styleでスロー・バラード風に演奏されている。これがとても哀愁があって意外である。英米の解釈の違いもさることながら。大西洋をはさんで異母兄弟の様に、しのぎを削ってきた両者。
この曲の挿入されたアルバム「Acoustic Rock」には「Flingel Bunt」も聞かれる。おそらく両者が握手する事は、もう無いだろうが、私のこころのアルバムにはこの2つのバンドの写真が表紙を飾っている。
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Amazon のMp3 Down Loadersをお持ちでない方はこちらから入手出来ます。(無料。試聴用です。曲の購入は出来ません。)
MuseのMan of Mysteryです。
December 20 Lately Hank Marvinデジタルの時代はアナログ機器を「イフェクター」として使って、音源を慎重にイコライジングすべきである。今日もマニアックな話題で、しかも私見ばかり。老いの一徹、恐縮の至りである。
この曲は1981年のStevie Wonderのヒット曲でアメリカでは64位に終わったが、英国で3位。さらに後年1993年に「Party At The Palace」でクリフと「Move It」を一緒に歌ったS Club 7がR&Bチャートで1位を獲得した美しいバラード。恋人のいつもと違う香水や、夜中につぶやく知らぬ男の名前から、嫌な予感をにおびえる淋しい男の歌である。
このハンクの演奏にはEFTPというデジタル・エコーが使われている事が明記されている。明らかにRoland Space Echo時代のエコーサウンドとは違う。私は前回のBLOGでRolandを絶賛したが、実は音響的に欠点も在る。それはテープを使っている為、ヒス・ノイズが出るのである。
その実例は1978年にLIVE録音されたクリフとの共演「Thank you very much」を聞いて頂ければ、お判り頂けると思う。London Palladiumの会場内には素晴しいエコー音が響いていただろうが、CDの音源としてはテープ・エコー独特のノイズを拾ってしまっている。
レコーディング・スタジオの狭い空間や、そこで録られた音源を聞くファンとしては、デジタル・エコーの方が心地よいだろう。実際レコーディングの作業での「利便性」「再現性」という点でデジタル機器は現時点で最高の物である。
しかし、「便利な機械は不便な人間を造る」。使い勝手の良さを追求するあまり、レコーディングは「一発録り時代の緊張感が生み出す爆発的な芸術性」を失ってしまった。「後で録り直せる」「修正できる」という怠惰な安心感が元凶となったのだ。
ハンクの様なsession(Abbey Road Studiosの言葉で、歌と伴奏を同時にレコーディングすること)に長けているミュージシャンは、私の聞いた限り、録音でも殆どフル・コーラス、頭から最後まで一気に演奏している。
この曲はFavinoというアコーステックギターで演奏され、Moog時代のアナログ・シンセサイザー風の音と、YAMAHA DX-7が造り出した数少ないデジタル時代独自の可愛い音がバックに使われている。
私は手廻しの蓄音機でハイフェッツを楽しんだ。そんなアナログ音を聞きすぎた世代の次は、CDのデジタル音を生まれた時から聞いて育ったお若い方の時代である。
それでも忘れて欲しくない事がある。最終的にはスピーカーやイヤフォンから出る音、耳で聞ける音は永久に「アナログ」なのである。
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December 19 We Are The Chamoins Hank Marvin(with Brian may)デジタル回路は100年後の音楽史には「過渡期的技術」だったと書かれるであろう。(これは、あくまでも、私の考えである。)
1970年代、各電機メーカーはPCM録音の研究開発競争に必死だった。私の所属したレコード会社にもPCM録音研究室があって、黎明期のデジタルの音をよく聞きに行った。
結局SONYの規格が勝ち、16bit、44.1kHzというCDが生き残った。(現在のVISTAは64bit 版もある)
ここで、タブーとされる事を書く。よく見かけるあの凸凹のデジタルの音質特性グラフには誤魔化しの部分がある。実はアナログをデジタルに変換する時に微妙なノイズが乗る。冬時に出来る「ささくれ」のようなギザギザがあの凸凹には細かくこびりついているのである。これがデジタルの音の硬さ、聴きづらさの元となっているらしい。
そしてもう一つ。これはもう有名だが、人間の心を癒す周波数帯の部分は「聴こえない筈」としてカットしてしまった。これが何と人間には聞こえていたという実験データが皮肉な事に、CD発売直後に発表された。いいかえればCDでは「癒しの音」は出せないのである。
よく「私はアナログ人間なんで」という逃げ口上を言う方がおられるが、人間の動作決定は「やるか、やらぬか」「好きか、嫌いか」「右か、左か」「良いか、悪いか」の0・1の2次元発想である。云ってみれば、もともと人間はデジタル的なものなのである。しかし、これが無数に脳細胞の連鎖によって、表現されるのでアナログになっているだけ。
このデジタルとの違和感を克服する為に現在、デジタルの次の規格「量子コンピューター」が研究・開発中である。これは0でも1でもなく、全く違うアルゴリズム(算法)で、スーパー・コンピュターで数千年かかる計算を数十秒でこなすという限りない可能性を持ったシステムなのだ。
ハンクはGene Vincentのバック・ギタリスト Jow Brownからエコー・マシンを買う。これを「Apache」で初めて使い、以来、数限りなく多くのエコーユニットを愛用した。1967年の初来日の時はBinson社の円盤エコーだった。
私の聞いた限り、最高のエコーサウンドを彼が生み出したのは、Rolandのテープ式エコーを2台リンクさせていた1997年のソロ・ツァーまでだったように感じる。まるで幻想の世界に引き込まれたかの様な魅惑のエコー・サウンドだった。
しかし、RolandのSpace Echoは生産中止、運搬には不向きであった。ハンクは1998年からデジタル・エコーを使用せざるを得なくなった。
デジタル・エコーはあくまでもアナログ・エコーのシミュレーション(3D)でしかないというのが私見である。個人的に部屋で楽しむ場合、小さなクラブなどでは威力を発揮するが、大会場では「絵に描いた餅」のような奥行きの無い妙な図柄にしかならない。
この曲でハンクと共演しているBrian Mayもテープ・エコーの達人である。(ギターソロの「Brighton Rock」は有名)この曲の録音はVOX AC-30を6台使っている。
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ハンクのエコー・マシンやアンプの歴史のサイトです。(ブルースは今でもコーラス・イフェクターとしてRolandを使用しています)
December 17 Kon Tiki (The Final Tour) The Shadows「コンチキ賞」を贈呈する。2004年のThe Shadows ・The Final TourのLive Recording Staff にである。CD、DVDのハンクのリードギターの音は酷すぎる。あまりにも歪んでいるのである。英国音楽史の将来に残すべき貴重な音源を、この様な野卑なものにしてしまった低俗な作業に対して批難したい。
私は2004年は4回、2005年は6回ツアーを最前列から、中央席、アリーナ後部席で観たが、ハンクのアンプからの生音、PA音はこんなひどい音ではなかった。ツァーをご覧にならなかった方でハンクのプレイをコピーされるているギタリストの皆さん。この音源を絶対に信用しないで頂きたい。
実際のハンクの出音、会場内でのサウンドは、同じ2004年にハンクがオーストラリアで録音したした「Life Story」が一番近いと感じる。おそらく同じKCPのアンプを使用していると思われるからであろう。
およそ世界にはディストーションしたギターを弾くギタリストは9500万人は居るだろうが(笑)、こんな雑音を出す音楽人の存在は考えられない。
Cardiffでの当日のレコーディングは多分モバイルのプロ・ツールズ(HDD)で行われたのであろう。ハンクのトラックはアンプ前のコンデンサー・マイク、アンプからのLine Out、デジタル・エコーのOut等が考えられるが、これをマルチケーブルで会場内のPA調整卓から分岐するのが通常のやり方である。最終的なミキシングはAbbey Road Studiosの何某と銘記されている。
もし、Line Out系列に当日、故障があったとしても、ハンクは厳密な音質調整で素晴しい音を出していたのだから、コンデンサー・マイクの音源をAbbey Road StudiosのDigital Reverbその他で処理すべきであった。
シャドウズが楽器のチューニングやアンプの調整に大変な時間を掛け、神経を尖らせるのは有名で、初来日の1967年に地方公演に同行した音楽評論家、木崎義二氏が証言している位である。
同じ2004年に録音されたStrat Packでの音質はまるで違う。ハンクもこのツァー音源には不満らしく、2005年にはアンプを同じKCPのPinnacleに変えた。
「Kon Tiki」のイントロとエンディングは同じ4フレットのEだが、微妙にフレーズが違う。最後のエコー・トーンは有名だが、ある日ファンが「ハンク、今日のKon Tikiのエコーはテンポが違った。」と指摘したら、ハンクは「そんなのは。その日の気分で変えているよ」とニヤっと笑ったというエピソードが残っている。
試聴機器:Bose Wave、IBM Think Centre S50、Macintosh i-Book G4、 i-Pod Nano.
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「Life Story」(32曲目です)
他の曲はVOX AC-30で録音されていますので、全く音質が違います。
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eugene
I feel that Hank's lead guitar's tone on Final Tour CD's and DVD's terribly differs from the actural one.
That is too much distortionend to listne to.
Hank's guitar tone was very clean, clear,marvellous and noble.
I am very very dissappointed .
eugene
December 13 Sacha Hank Marvin「Sacha」の話が出たので、この曲について。この曲はハンクの最初のソロ・アルバム「Hank Marvin」に挿入されていたもので、作曲はJerry Lordan、プロデユースはNorrie Paramor、Drums、Briann Bennett、ブルースはSaville.RowのShadows Musicのオフィスで、このアルバムのプロモーションに頑張った。
このアルバムは、まさにBurnsのギター・サウンドの集大成のような音造りで、EMI Studiosの調整卓も真空管時代。コンプレッサーはThe Fairchild社の670が使われ、大変延びと厚みのある素晴しい音が聞ける。
「Sacha」は英国ではまったくヒットしなかったが、オーストラリアでは何と第1位になった。ハンクのオーストラリア移住は、この曲が出発点だったのかもしれない。
さて問題の間奏だがLeslie社の回転スピーカーを通しており、このサウンドはオルガン以外にもThe Beatleの「Let It Be」のギター、The Venturesの「十番街の殺人」のテナー・サックスに使われている。ドップラー効果を使った独特の音響効果で、スタジオ内かコンサート会場でしか本物の音は味わえない。
しかし機材自体が大きすぎて、公演での移動が困難であり、しかも電圧によって動作が不安定であるという欠点があり。次第に使われなくなってしまった。スピーカーが回転し始める時に、スリリングなサウンドが楽しめるのが醍醐味であった。(私事だが私の経営していた会社には常設してあり、ミュージシャン達が本物のLeslie Soundを体験出切る様にしていた。Rhodes Pianoも旧型でSTEREOサウンドが出せた。)
温故知新、かならずしも新しい物だけが優れているとは限らない、Abbey Road Studiosも、あの「Apache」やThe Beatlesの爽やかなコーラスを産んだ地下のEchor Roomを埋めて、データだけデジタル・リヴァーブに残したそうである。愚考としか思えない。
お聞きになれる環境をお持ちの方はリンクをご利用ください。丁度、Leslie Speakerを使用したソロの部分。11曲目です)
BLOG ON THE SHADOWSシャドウズのサイト的ブログです。 |
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